SSブログ

サワコの朝 久本雅美 ネタバレ [サワコの朝]

サワコの朝 2013年3月16日
ゲストは久本雅美さん
1958年生まれ(54歳) 大阪府出身

(ナレーション)
26歳の時親友の柴田理恵さんと劇団WAHAHA本舗の旗揚げ。
過激なパフォーマンスで注目を浴び
劇団の中心メンバーだった久本さんはテレビの世界へ。
これまでの女性タレントにない独特のキャラクターで
一躍バラエティ番組の引っ張りだこになりました。
そんな久本さんの「笑いの原点」は家族。
そして現在54歳独身の久本さんですが・・・

「記憶の中で今もきらめく曲」
松山千春「大空と大地の中で」(1998年)
佐藤B作主宰の劇団「東京ヴォードヴィルショー」
を見て衝撃を受け
「私はここに入って人生を開いていこう」
大阪から東京に出てこようと意を決した時に
弟がレンタカーで走っているときラジオから流れてきた。

「自分の足で踏ん張って頑張れ」という歌ですから。
それが「よっしゃ、行ったろう」「ビッグになってやる」
「絶対負けへん」とか
いろんな思いが曲とリンクして感動し大号泣した。

道中サービスエリアで妹からもらった手紙を開封した。
「お姉ちゃん、頑張ってね…など激励の言葉の手紙と共に
5千円札が入ってたんですよ。その光景を思い出すと泣きそうになるんですけど
「妹は6歳下なので5千円は大金なんですよね。(妹は)高校生なのに
お金が足りないっての分かってたんでしょうね。」

東京についてからは
「東京ヴォードヴィルショーの稽古場に行ったものの
『稽古中だったらどうしよう・・』と中に入る勇気がなかった。
そしたら関係者が出てきて『あ君か、毎日大阪弁で電話してきたの』
と座長のB作さんに会わせてもらえるようになった。
歌も殺陣もダンスもできない自分に
『君は何ができるんだ?』との問いには
『元気です!』と答えた。『ま、元気が一番良いな』との一言で入団可能となった。

久本雅美が出来た家庭環境とは
両親は二人共徳島出身だが結婚を機に大阪に住み始めた。
母方はものすごく真面目静かで知的。
父方の方は、みんなすごい。
「おばちゃんでーーーーす」と言ってやって来る。
父方の親戚が集まると自分が「親戚中で一番無口だ」と言われている。
『無口な雅美がよう東京に行って仕事してるな』との評価。

家族が仲良しで、毎年家族写真を撮っているとか・・・
父親は今年80歳。年に一度の恒例行事で父は意外と嫌がらない。
母が亡くなってからは「家族で写真を撮ろうか」となり
写真館にて、真面目な写真とふざけた写真を撮るようになった。

お母様が亡くなられたのは・・・
母が亡くなったのは自分が40歳位の時。ガンを患っていて余命3ヶ月と言われていたが
気丈で病気に負けまいと頑張り、周囲の方にも励ましていただき4年延命した。
母が亡くなる時病院のベッドで2つだけ言いたいことがある』と言った。
「お仕事を頂いてお金はあると思う。このお金は価値のあるように使ってもらいたい。
自分のためにちゃんと使うんだよ
「あなたはやらなければいけないことがあるから、結婚はどっちでも良い」
と言ったのは意外だった。
東京に出たときは毎日のように見合い写真も送られ(一回見合いもしたこともある)
早く帰って来いと言われていたからだ。
結婚するしないはどっちでも良い。ただ、彼氏は持ちなさい。
心がギスギスしちゃうから
これを言葉を聞いて「お母ちゃんすごいわ」と思った。

NHKの女性タレント好感度ランキングで3年連続1位を獲ったが・・・
それまでは女捨ててるとか下品だとか言われてたので。びっくりした。
一番最初関根勤さんから電話が入って
「時代が変わった。嬉しくて女房と抱き合った」と喜んでくれた。

この業界に入って、WAHAHA本舗が30年。
WAHAHA本舗では過激なこと下ネタが多い。
笑いを追求した過激なパフォーマンス。
舞台を見た母の反応は「女捨てて良く頑張ってる」と。

下品だとか下ネタの批判を受けて傷ついてたことも若干あった。
自分が面白がっていることしか表現ができないが、
「無いものは出ない」
自分が面白いと思ってやっていることを批判されたりすると傷つくときも正直あった。

父・母と一緒に番組出演した時
ある司会者の「娘さんのパフォーマンスは恥ずかしいと思いませんか?」との問いに
母は「いえ、10人中10人が好きっていうのは難しいと思うんです。
でもうちの娘を見てたった二人でもいいから元気になるとか
嫌なことを忘れるとかそう思っていただいたら嬉しいです。
私は娘に『その2人を大事にしていってもらいたい』との思いです。」
この言葉に「おかん、スゲー」と思い、
その思いを胸に頑張ってきた。

WAHAHA本舗の看板女優がこれほどテレビに出てきたのはいつごろから・・?
23歳頃からはテレビに出るようになったが舞台は毎年一回必ずやってきた。
稽古初めから全国ツアーまで1年のうち4ヶ月は舞台に拘束される。

舞台は何ヶ月か稽古したことの正解・不正解が出るし
台本は自分たちで作っているので、
スベった時などは1日で書き直したりもする。
地方に行ったら初めから待ってましたの大歓声で
幕前で泣きそうになる。感動します。鳥肌立ってきます。

テレビであり舞台であり生涯現役でお笑いをやり続けるのが
私の夢であり願いでありますね。

いつも元気なマチャミ、現在悩みとか抱えているのか?・・・
色々ありますけど、悩みのない人はいないと思いますね。

落ち込んだ時は
基本的に絶対に人のせいにしない。全部自分だ、と腹をくくる。
「人のせいにすると楽よ」との阿川のアドバイスに
楽だよね。でもまた自分に返ってくるんだもんね。
後は自分が信頼する人に話を聞いてもらいます。それが一番。
喋っているうちに心の整理ができる。

54歳独身 結婚は?
今年の初夢が、自分がウエディングドレスを着て結婚式でバタバタ段取りしている夢だった。
あんまり楽しかったから初夢の内容を柴田さんにメールした。
柴田さんには毎年「今年は結婚できる気がする」という。「またか?」と笑って返す。

結婚はしたいですよ。
番組などで結婚時期の手相占いのエピソード。
「35歳で結婚できる」と言われたのは37歳の時だった。

(阿川)私27歳の時見てもらったら「28歳で結婚します」と言われ
え?来年?と喜んだ。が、28歳を超えてしまった。
しばらくして次の占いの人が
「28を逸したので次は40です」えー?40は無いでしょう?と思ったら
「40を逃したら次は72です。」と言われちゃって・・・
(久本)出た!私より上回った!!
中華街のおばちゃんに番組で見てもらったら
「最高の適齢期は65」って言われたんです。
(阿川)では66の時にまた番組に来てください!
結婚出来てないと思うから!

今、心に響く曲
ビートたけし「嘲笑」(1993年)をロマンのある素敵な深い歌だと紹介。
この曲を聴くと元気になるし、ちっちゃいことにクヨクヨしてたら
いけないな、って思える。

たけしさんが大好きなんです。
ここ1-2年位たけしさんとお食事をする機会がありまして。
元々岸本加世子さんと大親友なんですけど
いつも加世子姉がたけしさん素敵ステキと言う。
番組で一緒になったとき
「殿、すみません、加世子姉と私と一緒にご飯行ってくださいよ」
とお願いしたのがきっかけ。
何ヶ月かに1回なんだけど、時々時間を作っていただいて・・・

もう最高ですよ、たけしさんカッコイイから。
女の芸人さんにとって何が一番大事なんですかね?」とたけしさんに質問した際
「そうだな、時には女であり、時には女を捨ててる。」
この振り子の原理ですね。幅の広さ。
女を捨てちゃいけない。
でも女を捨てなきゃいけない時もある。このバランスが大事
とのアドバイスに感動。
「一回ぐらい抱いていいですよ」と言ったら
「お前はいいよ!!(あっち行け)」と拒否された(笑い)が
またその距離加減が良い。

(阿川)じゃぁ15年後に会おう
(久本)お互い、死んでないこと祈って!アハハハハ

******************************

ネタバレ以上です。
元気いっぱいだけど、真剣なお話もたくさん聞けたトークでした。
WAHAHA本舗の最終公演といわれている舞台の告知もありました。

WAHAHA本舗全体公演「ラスト」
4/6(土)~赤坂ACTシアター
岩手 拘置 広島他全国19か所



スポンサーリンク



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
ガソリン代割引特典

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。