サワコの朝 高橋克実 ネタバレ [サワコの朝]
2013年4月6日放送の高橋克実さんがゲストです。
(阿川)いいパパになられて!おめでとうございます。
パパやってるの?
(高橋)やってますよ。男の子なんですけど、楽しいです。
まるっきりこのまま(自分)です。可哀想なぐらい。
A)あちら(髪の毛)はこれから生えるし。
T)(髪の毛の話題)そっちじゃない。
俳優の高橋克実(たかはしかつみ)さん。
1961年生まれ(52)新潟県出身
高校を卒業し上京して役者の道へ。
30代の頃は様々なドラマに脇役で出演。
37歳の時に出演したドラマ「ショムニ」が大ヒット。
幅広い層から知られるようになりました。
近年はその独特なキャラクターでバラエティ番組でも大活躍。
そんな高橋さん。実はナルシスト?
長かった下積み生活で見つけた、役者として進むべき道とは?
---記憶の中で今もきらめく曲
ドラマ『太陽にほえろ!』
ジーパン刑事のテーマ「青春のテーマ」
中2頃見ていた。俳優「松田優作」を見たのもこの番組。
松田優作さんの真似を阿川さんに無茶振りさせられるんですけど
お上手でした^^
---この曲聴くと鳥肌立つというか、何度聴いても興奮しますか?
興奮しますね~映像も出てきますね。犯人と格闘する前にジーパンがウワーーって怒ったりするとこれがかかるんですよ。友達やクラスの仲間全員夢中になってました。
必ず1話目に石原裕次郎さんが演じる「ボス」があだ名を決めるんですよ。
自分が刑事になって七曲署に入ったら「"こういうあだ名で呼ばれたい"ごっこ」
が流行ってましたね。
野球部でショート守っている奴は「ショート!」とかね。そのまんまじゃねーか。
俺の場合は、髪の毛が天然パーマだったので…
今でも天然パーマですよ!!伸ばせば。ひどいクセ毛。
だから「天パ!」 と呼んでもらいたかった。
---ご出身は新潟の三条市。
家は日用品とか売っていました。
---お父様は、金物屋だけど芸事がとてもお好きだと伺ってますが
要するに明るい人なんで…どこの家でもそうだと思うのですけど
子どもに覚えさせるとか…落語とかね。
「じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの…」
覚えさせられて、正月に親戚が集まった時披露させられるんですよ。
顔が「柳家 金語楼」さんに似てたので「金語楼やれ!」
と言われて、顔真似してましたよ。
笑いの要素は間違いなくあの人(父親)ですね。
ダジャレとかは今でも恥ずかしいほど言いますよ。
友達が集まってくれたところに呼ぶとと大喜びしますよね。
フグの唐揚げ食べてたんですよ。途中で骨が引っかかって
ずっと咳をしているから、
「気にしないでトイレ行って大きく咳した方がいいですよ」
って言った。戻ってきた時「大丈夫ですか?」てきいたら
「うん、ふぐ取れました。(すぐ取れました)」
そういう人なんです。
今年84歳です。
---私もへび年です。(年女)
24歳ですか?(爆笑)
---長男でしょ?
そうですね。普通は中学出たら商業高校へ行って家を継ぐという、流れだったんでしょうね。
---ご自分ではそういう自覚はあったんですか?
どこかでありましたね。
中学生くらいの時にはそうなるんだろうな、と。
東京に行きたくてなんとか僕はそれを避けたいので
家を継ぐのは仕方がないけどその前に東京に行きたかったんです。
大学に行ってからでも家は継げるだろう、という流れにいったんですけど
高校の時点で成績が進学するもしないも無い位のレベルになっちゃったんで
「進学したい」と言ったら担任が鼻で笑った「ハッハッハどこへ?」
とにかくどうせ受からないと思ってましたから
受験する前から予備校を決めてました。
東京に行きたい。七曲署の近くに行きたい。それだけだったんです。
予備校の寮に入って、連日新宿に行って「うわ、ここがロケ地だ」
吉祥寺に行って「うわ、中村雅俊さんがいた所だ」予備校の寮には映画好きな人が何人かいたんですよ。楽しかったですよ。
---その時にいっぱい吸収しているのは大事なんでしょうね。
あれは、自分の中で忘れられない1年でしょうね。
人生の中で一番忘れられないって言ったら18歳、出てきた一番最初の1年だと思います。
とにかく映画見たり。マイナー系の日本映画でも見てフツフツしている頃でした。
---本気で映画の良いのを探していたのね?ただその世界に逃げていたというのではなく…
作品がいっぱいありました。同時に日活ロマンポルノとかも見てました。
くくられると話が長くなるんだけど
「ロマンポルノ」でくくっちゃダメなんですよ。
森田芳光監督とかものすごい人たちが撮ってましたから。
覚えているのは、上野の映画館で
曽根中生監督の「天使のはらわた 赤い教室」これは感動しますよ。
最後は声を出して泣きました。号泣です。感動的でしたね。
こんなオタクみたいな話ばかりしてて大丈夫なんですか?(笑い)
---東京に出てきて役者を目指すことになったのは?
随分経ってからですね。予備校に2年行ってたら大学に行った気になっちゃって。もういいや、と就職するような形をとっていわゆるフリーター。
自分が俳優になる、という明確な目標は無かったんだけど
映画の世界に近づきたい、「太陽にほえろ!」には未だに出たいと思っているような。今考えると夢見がちでしたね。
「太陽にほえろ!」は文学座から行くわけですよ。
文学座に行くには受験があるらしいよ、と聞き問題集など書店で見たものの
「無理だなぁ」と、演劇なんか全然知らない訳だから。
取り敢えず、文学座を見てみるですけど、「ここかぁ」と言いながら
文学座までの道のりを見てみたり、演技のことは見てなく
「もっと簡単に近づく方法は?」オーディションに行った。
受かりませんでしたがね。
そうすると、オーディションとかで似たような雰囲気の人とか沢山いるじゃないですか。自分だけなりきってサングラスだけ掛けて、ボソボソ喋って。
ちっちゃい松田優作さん、みたいな。
---職業を決めなきゃいけないとか、そういう不安は?
無かったですね。全然無かったですね。
楽天的というより、全く考えてなかったですよね。
人生設計ゼロでしたね。
---役者の仕事を始められて、最初は文学座はムリだったとしても一応劇団に入って活躍し始めたきっかけは何だったのですか?
ある時に気が付いたんですよ!
ずいぶん前は「医者A」とかの役でも腕まくりして胸元開けて
ワイルドな演技、全て松田優作風にしていたら
「あ、お医者さん役の人さ、そういうの、いらないよ!何さんだっけ?」
「高橋です!」って、そういうことがあったんです。
事務所では「とにかく現場に何か爪痕を残してきなさい」と言われていた頃だったんで何か残せばいいな、と思って。
でもそうすると、逆に怒られたり。俺の中ではちょっとした役で呼ばれて行って試すんだけど全然違うなって言われて…
帰る時半泣きで「今日も全然ダメだったな。何をすればいいのかなぁ?いらないって言われたよなぁ」
という事をやっている時に、気が付いたんですよ!
俺はワイルドじゃないし、カッコイイんじゃないんだって。
---いくつ位の時ですか?
36歳頃でしたね。
---それまでは、本気で優作?
優作にも行けると思ってましたね。うん。鏡見るの大好きでしたもん。
髪の毛いじるの、すごい好きだったです。過去形ですけど(ハハハ)
どっちの向きがイイんだ?とかね。
自分大好きでした。
---それが36の時に「違うぞ」と?
はい、それで楽しい方が良いんだな、と。
それまではテレビ・舞台というと「作っていた」のを
もう少し違う方向から行ってみようと、いうのがありましたね。
---それから「トリビアの泉(2002~2006、雑学を紹介するバラエティ番組)」にスカウトされた?
スカウトというか、映像の仕事始めてましたしね。
でも、この番組が世間一般になりましたね。
---ご本人としてはどうでしたか?
不本意というか、落ち込むんですよ。その時伊東四朗さんとお仕事があって
バラエティと役者とどうなんですかね?と聞いたら
「いやいや。テレビに出る、出させてもらえる、仕事がある、そういうのが一番大事でしょう?」と言われました。
「演じている」ということに関しては同じでしょ、って自分で思ったんですね。
そこからその通りだなって吹っ切れました。
昔は出たくて出たくて仕方がなかった訳じゃないですか。
そう言う意味では伊東四朗さんにはとても感謝しています。
---それから3路線の方かと思えば、2路線も、主役も…
今度また新しいドラマが始まるというのは刑事物でしょ?
七曲署ではないけれど。
はい。嬉しいです。
原作があるんですけど「確証~警視庁捜査3課」が
4月15日(月)夜8時スタートします。
捜査3課というのは余り耳慣れないかもしれませんが。
1課は殺人事件だったりとか。
捜査3課というのは、窃盗専門の部署。
刑法犯罪の中の7割が窃盗=ドロボウなんですよ。
僕の家、10年ぐらい前に泥棒に入られたことがあるんですけど…
タイに海外ロケのため飛行機で行ってた時、泥棒に入られて。
自宅に。
1万円札の絵柄が変わった時に聖徳太子のお札を取っておこうと思って
いたものを持って行かれました。
---札束を?ガバっと?
8枚ぐらいですね。
それとパソコンとかですね。(損害は)大きかったですよ。
その時に捜査3課の刑事さん達には、帰国してからお会いしてます。
---うちに泥棒入った時現場にいたんです。
ん?今日は「泥棒に入られた仲間ですか?」
---ドラマの参考になるかと思って…まだ親と一緒に暮らしていたから仕事始める前の20代だったんですけど。
2階の自分の部屋の2段ベッドの上で寝てたら「ガンガンガン」夜中3時頃に音がして次の瞬間ガタガタってしたから なんとなく薄目をあけたら懐中電灯の光が動いてて「泥棒かな?」て思ったら懐中電灯が私の部屋に入ってきた。
月明かりにその人の顔が写ったとき、穏やかな顔をしてたんです。
「あ、これは職人泥棒だ、静かにしてよう」と思い、しばらくしたら出て行って直ぐに110番して刑事さん次々に来て「すみません、お見合いしてもらえますかね~」と言われ「お見合いは沢山してるんですけど、私」ていったら いやいやと、写真を見せられて「少しでも似ていると思ったら避けてください」…
という話をして、エッセイに書くわ、父は短編小説にするわで
盗まれた額より多く儲かりました。
オチまで付いちゃいましたね。
---今、心に響く曲は
映画「男はつらいよ」
邦画の中では特に元気になりますね。何度見ても良いですよ。
妹が居るんですよ。
子供の頃から親に3歳違いなんですけど比較されるんです。
寅さん見に行くと。
「ホント、うちもこんな感じだな。兄妹。」とか言われてね。
出来の悪い兄と、よく出来た妹。
バリバリの公務員ですよ。まあ、安定している仕事。
安定してないじゃないですか。
子供の頃からそんなことばっかり言われていて、これ聴くと
「わかっちゃいるんだ妹よ」とかね、身につまされる曲なんです。
---ちゃんと身体大切にして働かないと、奥様と赤ちゃんが居るんだから。
そうですね。最後、説教で終わるんですか?
そのケースあまりないですよね??
---ありがとうございます。
以上がサワコの朝、高橋克実さんのネタバレです。
ドラマの宣伝してましたが、「確証」でのエピソードが話題になってましたね。
高橋さん演じるベテラン刑事・萩尾秀一、ハギさんって呼ばれるらしいんだけど、
だそうです^^
明るくて楽しい高橋さんですが、出演する「確証」は
プロの窃盗犯と息詰まる頭脳戦を展開していくそうです。
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(阿川)いいパパになられて!おめでとうございます。
パパやってるの?
(高橋)やってますよ。男の子なんですけど、楽しいです。
まるっきりこのまま(自分)です。可哀想なぐらい。
A)あちら(髪の毛)はこれから生えるし。
T)(髪の毛の話題)そっちじゃない。
俳優の高橋克実(たかはしかつみ)さん。
1961年生まれ(52)新潟県出身
高校を卒業し上京して役者の道へ。
30代の頃は様々なドラマに脇役で出演。
37歳の時に出演したドラマ「ショムニ」が大ヒット。
幅広い層から知られるようになりました。
近年はその独特なキャラクターでバラエティ番組でも大活躍。
そんな高橋さん。実はナルシスト?
長かった下積み生活で見つけた、役者として進むべき道とは?
---記憶の中で今もきらめく曲
ドラマ『太陽にほえろ!』
ジーパン刑事のテーマ「青春のテーマ」
中2頃見ていた。俳優「松田優作」を見たのもこの番組。
松田優作さんの真似を阿川さんに無茶振りさせられるんですけど
お上手でした^^
---この曲聴くと鳥肌立つというか、何度聴いても興奮しますか?
興奮しますね~映像も出てきますね。犯人と格闘する前にジーパンがウワーーって怒ったりするとこれがかかるんですよ。友達やクラスの仲間全員夢中になってました。
必ず1話目に石原裕次郎さんが演じる「ボス」があだ名を決めるんですよ。
自分が刑事になって七曲署に入ったら「"こういうあだ名で呼ばれたい"ごっこ」
が流行ってましたね。
野球部でショート守っている奴は「ショート!」とかね。そのまんまじゃねーか。
俺の場合は、髪の毛が天然パーマだったので…
今でも天然パーマですよ!!伸ばせば。ひどいクセ毛。
だから「天パ!」 と呼んでもらいたかった。
---ご出身は新潟の三条市。
家は日用品とか売っていました。
---お父様は、金物屋だけど芸事がとてもお好きだと伺ってますが
要するに明るい人なんで…どこの家でもそうだと思うのですけど
子どもに覚えさせるとか…落語とかね。
「じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの…」
覚えさせられて、正月に親戚が集まった時披露させられるんですよ。
顔が「柳家 金語楼」さんに似てたので「金語楼やれ!」
と言われて、顔真似してましたよ。
笑いの要素は間違いなくあの人(父親)ですね。
ダジャレとかは今でも恥ずかしいほど言いますよ。
友達が集まってくれたところに呼ぶとと大喜びしますよね。
フグの唐揚げ食べてたんですよ。途中で骨が引っかかって
ずっと咳をしているから、
「気にしないでトイレ行って大きく咳した方がいいですよ」
って言った。戻ってきた時「大丈夫ですか?」てきいたら
「うん、ふぐ取れました。(すぐ取れました)」
そういう人なんです。
今年84歳です。
---私もへび年です。(年女)
24歳ですか?(爆笑)
---長男でしょ?
そうですね。普通は中学出たら商業高校へ行って家を継ぐという、流れだったんでしょうね。
---ご自分ではそういう自覚はあったんですか?
どこかでありましたね。
中学生くらいの時にはそうなるんだろうな、と。
東京に行きたくてなんとか僕はそれを避けたいので
家を継ぐのは仕方がないけどその前に東京に行きたかったんです。
大学に行ってからでも家は継げるだろう、という流れにいったんですけど
高校の時点で成績が進学するもしないも無い位のレベルになっちゃったんで
「進学したい」と言ったら担任が鼻で笑った「ハッハッハどこへ?」
とにかくどうせ受からないと思ってましたから
受験する前から予備校を決めてました。
東京に行きたい。七曲署の近くに行きたい。それだけだったんです。
予備校の寮に入って、連日新宿に行って「うわ、ここがロケ地だ」
吉祥寺に行って「うわ、中村雅俊さんがいた所だ」予備校の寮には映画好きな人が何人かいたんですよ。楽しかったですよ。
---その時にいっぱい吸収しているのは大事なんでしょうね。
あれは、自分の中で忘れられない1年でしょうね。
人生の中で一番忘れられないって言ったら18歳、出てきた一番最初の1年だと思います。
とにかく映画見たり。マイナー系の日本映画でも見てフツフツしている頃でした。
---本気で映画の良いのを探していたのね?ただその世界に逃げていたというのではなく…
作品がいっぱいありました。同時に日活ロマンポルノとかも見てました。
くくられると話が長くなるんだけど
「ロマンポルノ」でくくっちゃダメなんですよ。
森田芳光監督とかものすごい人たちが撮ってましたから。
覚えているのは、上野の映画館で
曽根中生監督の「天使のはらわた 赤い教室」これは感動しますよ。
最後は声を出して泣きました。号泣です。感動的でしたね。
こんなオタクみたいな話ばかりしてて大丈夫なんですか?(笑い)
---東京に出てきて役者を目指すことになったのは?
随分経ってからですね。予備校に2年行ってたら大学に行った気になっちゃって。もういいや、と就職するような形をとっていわゆるフリーター。
自分が俳優になる、という明確な目標は無かったんだけど
映画の世界に近づきたい、「太陽にほえろ!」には未だに出たいと思っているような。今考えると夢見がちでしたね。
「太陽にほえろ!」は文学座から行くわけですよ。
文学座に行くには受験があるらしいよ、と聞き問題集など書店で見たものの
「無理だなぁ」と、演劇なんか全然知らない訳だから。
取り敢えず、文学座を見てみるですけど、「ここかぁ」と言いながら
文学座までの道のりを見てみたり、演技のことは見てなく
「もっと簡単に近づく方法は?」オーディションに行った。
受かりませんでしたがね。
そうすると、オーディションとかで似たような雰囲気の人とか沢山いるじゃないですか。自分だけなりきってサングラスだけ掛けて、ボソボソ喋って。
ちっちゃい松田優作さん、みたいな。
---職業を決めなきゃいけないとか、そういう不安は?
無かったですね。全然無かったですね。
楽天的というより、全く考えてなかったですよね。
人生設計ゼロでしたね。
---役者の仕事を始められて、最初は文学座はムリだったとしても一応劇団に入って活躍し始めたきっかけは何だったのですか?
ある時に気が付いたんですよ!
ずいぶん前は「医者A」とかの役でも腕まくりして胸元開けて
ワイルドな演技、全て松田優作風にしていたら
「あ、お医者さん役の人さ、そういうの、いらないよ!何さんだっけ?」
「高橋です!」って、そういうことがあったんです。
事務所では「とにかく現場に何か爪痕を残してきなさい」と言われていた頃だったんで何か残せばいいな、と思って。
でもそうすると、逆に怒られたり。俺の中ではちょっとした役で呼ばれて行って試すんだけど全然違うなって言われて…
帰る時半泣きで「今日も全然ダメだったな。何をすればいいのかなぁ?いらないって言われたよなぁ」
という事をやっている時に、気が付いたんですよ!
俺はワイルドじゃないし、カッコイイんじゃないんだって。
---いくつ位の時ですか?
36歳頃でしたね。
---それまでは、本気で優作?
優作にも行けると思ってましたね。うん。鏡見るの大好きでしたもん。
髪の毛いじるの、すごい好きだったです。過去形ですけど(ハハハ)
どっちの向きがイイんだ?とかね。
自分大好きでした。
---それが36の時に「違うぞ」と?
はい、それで楽しい方が良いんだな、と。
それまではテレビ・舞台というと「作っていた」のを
もう少し違う方向から行ってみようと、いうのがありましたね。
---それから「トリビアの泉(2002~2006、雑学を紹介するバラエティ番組)」にスカウトされた?
スカウトというか、映像の仕事始めてましたしね。
でも、この番組が世間一般になりましたね。
---ご本人としてはどうでしたか?
不本意というか、落ち込むんですよ。その時伊東四朗さんとお仕事があって
バラエティと役者とどうなんですかね?と聞いたら
「いやいや。テレビに出る、出させてもらえる、仕事がある、そういうのが一番大事でしょう?」と言われました。
「演じている」ということに関しては同じでしょ、って自分で思ったんですね。
そこからその通りだなって吹っ切れました。
昔は出たくて出たくて仕方がなかった訳じゃないですか。
そう言う意味では伊東四朗さんにはとても感謝しています。
---それから3路線の方かと思えば、2路線も、主役も…
今度また新しいドラマが始まるというのは刑事物でしょ?
七曲署ではないけれど。
はい。嬉しいです。
原作があるんですけど「確証~警視庁捜査3課」が
4月15日(月)夜8時スタートします。
捜査3課というのは余り耳慣れないかもしれませんが。
1課は殺人事件だったりとか。
捜査3課というのは、窃盗専門の部署。
刑法犯罪の中の7割が窃盗=ドロボウなんですよ。
僕の家、10年ぐらい前に泥棒に入られたことがあるんですけど…
タイに海外ロケのため飛行機で行ってた時、泥棒に入られて。
自宅に。
1万円札の絵柄が変わった時に聖徳太子のお札を取っておこうと思って
いたものを持って行かれました。
---札束を?ガバっと?
8枚ぐらいですね。
それとパソコンとかですね。(損害は)大きかったですよ。
その時に捜査3課の刑事さん達には、帰国してからお会いしてます。
---うちに泥棒入った時現場にいたんです。
ん?今日は「泥棒に入られた仲間ですか?」
---ドラマの参考になるかと思って…まだ親と一緒に暮らしていたから仕事始める前の20代だったんですけど。
2階の自分の部屋の2段ベッドの上で寝てたら「ガンガンガン」夜中3時頃に音がして次の瞬間ガタガタってしたから なんとなく薄目をあけたら懐中電灯の光が動いてて「泥棒かな?」て思ったら懐中電灯が私の部屋に入ってきた。
月明かりにその人の顔が写ったとき、穏やかな顔をしてたんです。
「あ、これは職人泥棒だ、静かにしてよう」と思い、しばらくしたら出て行って直ぐに110番して刑事さん次々に来て「すみません、お見合いしてもらえますかね~」と言われ「お見合いは沢山してるんですけど、私」ていったら いやいやと、写真を見せられて「少しでも似ていると思ったら避けてください」…
という話をして、エッセイに書くわ、父は短編小説にするわで
盗まれた額より多く儲かりました。
オチまで付いちゃいましたね。
---今、心に響く曲は
映画「男はつらいよ」
邦画の中では特に元気になりますね。何度見ても良いですよ。
妹が居るんですよ。
子供の頃から親に3歳違いなんですけど比較されるんです。
寅さん見に行くと。
「ホント、うちもこんな感じだな。兄妹。」とか言われてね。
出来の悪い兄と、よく出来た妹。
バリバリの公務員ですよ。まあ、安定している仕事。
安定してないじゃないですか。
子供の頃からそんなことばっかり言われていて、これ聴くと
「わかっちゃいるんだ妹よ」とかね、身につまされる曲なんです。
---ちゃんと身体大切にして働かないと、奥様と赤ちゃんが居るんだから。
そうですね。最後、説教で終わるんですか?
そのケースあまりないですよね??
---ありがとうございます。
以上がサワコの朝、高橋克実さんのネタバレです。
ドラマの宣伝してましたが、「確証」でのエピソードが話題になってましたね。
高橋さん演じるベテラン刑事・萩尾秀一、ハギさんって呼ばれるらしいんだけど、
「これはちょっと危ないですよ。この間もADさんが間違えて『ハゲさん』って呼んだのが榮倉さんのツボみたいで……
角野(卓造)さんからも『ハゲさん』って呼ばれそうになるし、
もう誰が誰を呼んでいるのかわからなくなるよ」と自らの頭髪をネタにしていた。
だそうです^^
明るくて楽しい高橋さんですが、出演する「確証」は
プロの窃盗犯と息詰まる頭脳戦を展開していくそうです。
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2013-04-06 13:31
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