SSブログ

サワコの朝 内村光良 ネタバレ [サワコの朝]

サワコの朝 2013年3月23日
ゲストは内村光良さん
映画監督・お笑い芸人 熊本県出身

オープニング
「ゲストは映画監督のこの方です」
との紹介に「お笑い芸人の方がいいです」と照れていました。
(阿川)もう2作目の監督映画が公開されますね。
---7年ぶりですね。
(阿川)2作目は慣れた感じですか?
---慣れたというか
今回の作品は監督だけだったので専念できたという感じがありました
(阿川)いくら見てもウッチャンは出てきません。
---一秒も出て来ません。
今回出ることは考えず、頑張って制作に徹しました。

20歳の時専門学校の同級生南原清隆さんとウッチャンナンチャンを結成。
以来数々のバラエティ番組に出演しお笑い界をリードしてきました。
2006年には映画監督に初挑戦。
そして今回7年ぶりの監督作「ボクたちの交換日記」では
夢を追いかけるお笑いコンビの友情や苦悩を描いています。
そんな二人の主人公に命じた
笑いコンビの役作り方法とは?・・・・
そしてコンビ結成28年、相方の南原さんとの関係とは?



記憶の中で今もきらめく曲
サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」
熊本から上京して日本映画学校(今村昌平監督=「楢山節考」「うなぎ」でカンヌ国際映画祭 最高賞を二度受賞した監督が校長の専門学校)に通っていた。
在校時、最初に仲が良くなったのは出川哲朗くん。
入学して2年目位に初めて横浜スタジアムのコンサートに行ったんです。
サザンオールスターズでした。
何万人も集まるのがすごいと思ったことと
その時に発売されたシングルがこの曲でした。
スタンドで「桑田ー」と叫んでいたのは
南原であり出川でした。

駆け出しの頃の営業の時・・・
厚木の「鮎まつり」のイベントで出演した時
30分2ステージやることに。デビューしたばかりでネタがなかった。
残り10分どうしても余ってしまうので
カラオケで「ミスブランニューデイ」を入れて
二人で普通に歌うっていうことをしてました。
モノマネでも何でもなく全く上手くもない。
音外しっぱなしで。その時反対側から花火が上がり始めて
お客さん全員花火見るのであっち向いてるって状況でした。

映画学校のお笑いの授業で・・・
上京し映画学校に入ったということは映画を作る側に回りたかったのですか?
はい。でもお笑いの授業があるんです。
絶対2~3ヶ月は誰かと組んでやらなければいけなかった。
僕は違う人と組んでたんですけどダメになって
南原も別の人とやってダメで
僕と南原が組んでやったらウケたものでそこからです。

ナンチャンと仲良くなったのは・・・
彼と意気投合したのは「時をかける少女」の大林宣彦監督が大好きということ。
時をかける少女のテーマ曲を歌いながら校内を走ってから仲良くなりましたね。
出川くんは当時シュッと痩せてまして硬派な人間でした。
ミスタードーナツで「おれはいつか三國連太郎みたいになるからと出川くんが真剣な顔で言ってたのを今でも覚えていますよ
役者志望だったんです。

僕はその時は何も考えてなく映画監督も難しいだろうと思い
お笑いの授業では内海好江師匠が講師で来ていらして
「あんたたち、良かったら何か受けてみたら?」とアドバイスをもらい
就職もなかったから「お笑いスター誕生」に出て勝ち抜いていったんです
一回戦を勝ち抜いたのが大きかったんだろうな、と思います。
一回戦で落ちていたら辞めてたかもしれないですね。
予科練航空隊出身の父は電話口で「無心でいけ」と励ましてくれました。

映画学校に通い、役者か監督など映画関係に進むかと思ったら お笑いの道に行ってしまったことをどう思っているのですか?
割と両親は温かく見守っていてくれたんですけど
その年の正月親戚一同の前で妹が
「兄が突然漫才師になってスミマセンm(__)m」と頭を下げたこともありました。

今回作った映画はまさにウッチャンナンチャンが創世記という感じがしますが・・・
基本的にボクらの2世代後の話なので
今の30歳くらいのお笑いさんをイメージしながら書きました。

ナレーション売れないお笑いコンビを描いた映画「ボクたちの交換日記」。
ショーパブでの営業やお笑いトーナメントなど芸人の世界をリアルに映し出し
その中でギクシャクしていくコンビの心の葛藤を描いています。

序盤にニューハーフのショーパブでコントをやる所があるんですけれども
そこは実際に僕たちが立っていた場所だったんです。
舞台に立って「あ、ここ立った時ある」と気付いたんです。
「黒鳥の湖」というニューハーフの踊り子さんの合間にコントをやる、
という。最近はるな愛ちゃんに話ししたら「アタシもそこに立ったことがある」と言ってました。
たまたま見つかった撮影場所なんですけど当時を思い出しました。
ガヤガヤ食事などしていて全然聞いてもらえなく
マイクついてないので地声でやる。

役者さんにお笑いを指導することはどう感じますか?
僕は漫才が難しく書けなくて「客と店員」みたいな設定があるコントなんですね。
今まで自分がやるだけでコーチしたことはないし
相手が役者さんなので教えることは本当に難しかったです。
自分がウケたネタをやらせても、ウケなかったです。
彼らの個性を知って、彼らに寄せた物にしないと。
だから何回も書き直しました。
一番早いのは「舞台に立つこと」なので
二人をお笑いのライブハウスに飛び入りで立たせたんです。
伊藤淳史さん、小出恵介さん共に人気者ですから
出た瞬間観客からは「キャー!!」ですよね。
でも登場が(盛り上がりの)ピークでした。
そっから面白いようにスベリましてケチョンケチョンに
叩きのめされたみたいで呆けて帰ってきましたね

その経験が活きたのか、その後の練習はものすごく食らいついてきてくれました。
もうあんな思いはしたくない、と思ったんでしょうね。

映画監督という最初の夢が叶ってどうでしたか?
20代位で映画は撮れるもんじゃなかったと。
こういう経験を踏まえてきたからこそこうやって今撮れてるんだろうな遠回りじゃなかったと思いますね。

今回の映画でもありますが、二人の関係がだんだんギクシャクしてくる、というのはありますか?
コンビ組んで1年目が一番仲悪かったと思いますね。
僕が勝手に思ってただけかもしれないですけど
友達だったのが仕事のパートナーになったわけじゃないですか。
毎日一緒にいるわけですよ。ツインの部屋2泊した時はさすがに
吐きそうになりました。
年数が増え、学生気分が抜けて、これは仕事なんだと割り切って コンビになっていったという感じですね。

仲良しのコンビもいれば、プライベートは全く別、というコンビもいますが どうなんですか?
僕たちはお互いの連絡先は知らないです。
緊急時はマネージャーを通して連絡先を聞く。
恥ずかしいんですよ。
仕事先であんなに話していて、電話はもういいだろう、と。
最近は個別の仕事が増えたので別々が多いですけど。
二人きりで楽屋はちょっと辛いのでどっちかが必ず外に行くと思います。
向こうもそう思っていると思います。

このコンビは険悪だ、と言われているのは案外そうでもないことがあるのですか?
案外そうでもないです。
嫌っていたら、解散していると思います。
嫌いだったら成立しませんからね。でも一緒には行動したくない(笑い)

お互い別の仕事が増えると、相手のこと気になりませんか?
ラーメン屋さんに行くとテレビで「ヒルナンデス!」が流れるんですよ。
お客さんの視線が一気にやって来るんです。
「お前は良いのか?仕事しないで!のんびりラーメン食ってる場合か?」 と感じるくらい無言のプレッシャーがあるので
ものすごく早く食べて出て行くし、
この前病院に行ってたら「ヒルナンデス!」が流れてきて
「お前病気してる場合か?早く元気になれ」という
空気も困りますね。ちょっと恥ずかしいです。

段々大御所になってきて 有吉さんなど後輩を育てる立場になってきましたが・・・ 内村さんがそのきっかけを作ったお一人なんでしょ?
イヤイヤ彼が自分で上がっていったんです。
たまたま内村プロデュースという番組で芸人さんのお宅拝見に行くと
必ず猫の格好した有吉くんが浴室にいるんですね。
猫男爵っていってましたけど、全裸で体を拭いているっていうのが
ありまして、命名しただけです。

くりぃむしちゅーも元は別の名前だったんですよね?
「海砂利水魚」でしたね。「気分は上々」という番組で
さまーずと卓球対決して負けたら改名、という企画があったんです。
対決に向かうロケバスで有田に
好きな食べ物何?って聞いたら「クリームシチュー」って言ったんですね。
それが面白かったんで「よし、クリームシチューにしよう」ってなったんです。

でもあれで負けて本当に「くりぃむしちゅー」になっちゃってすごく後悔したんですよ。
ただの番組の1企画で卓球に負けたからと言って、人の人生を勝手に変えてしまったようで、その後でものすごく申し訳なく思い、以降は改名企画はやっていないです。もう嫌だと。

くりぃむしちゅーは海砂利水魚より売れましたよ?
それは二人の力です。やっぱり才能があったので、その・・・本当に良かったです。
だってですよ、改名して売れなくなっちゃったら責任感じるじゃないですか。
だから(売れてくれたことに)本当に有難うと、本当に感謝しています。

今、心に響く曲
「ヒーロー」2009年発売(FUNKY MONKEY BABYS)全国のお父さんが元気になる歌ですね。

私もやっぱり娘が出来てから余計にこの歌を聴くとヤバイ、やべっす。
娘は今3歳で、メロメロっす(照れ)
溺愛とはこのことだな!ともう一人の自分が言っていました。
困ったもんで顔が俺に似てるんですよ。ふざけた顔してるんですよね。
愛嬌で乗り切っていくような顔をしているんです。

嫁さんから「多分女の子らしいよ」って連絡を聞いた瞬間
2~30年後教会で新婦の父としてバージンロードを歩く事を
思いましたね。
その想像は、覚悟です。いつか離れていくんだという覚悟
まだ生まれてもいなかったんですけどね。
離れていく前は・・・「いっぱい遊びたいです」(笑い)

ネタバレは以上です。
奥様は. 元テレビ朝日アナウンサー徳永有美さんです。
2005年3月に結婚を発表しました。
2009年6月に長女となる第一子の誕生です。
2006年に第1作目の監督作品となる「ピーナツ」が公開されました。



スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
ガソリン代割引特典

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。